蹴り技による戦い

相撲の発祥は奈良?!もともとは蹴り技の格闘技だった?

蹴り技による戦い

日本の国技、相撲。

あなたは相撲の発祥地が奈良だってこと、ご存知でしたか?

本日は

  • なぜ相撲発祥の地が奈良なのか?
  • 今の相撲とどう違うのか?

など、相撲にまつわる雑学をお伝えしようと思います。

相撲の見方が変わります。

 

今の相撲になるまでの歴史

相撲の発祥が奈良だったということを紐解くには、今の相撲がどのようにしてできたのかを知っておくと良いでしょう。

私も詳しくなかったので、一緒に勉強しましょう。

 

今のような相撲になったのは、江戸時代から

赤提灯

相撲が広く定着したのは、江戸時代からと言われています。

それまで神社のお祭りごと、すなわち神事として相撲をとっていたり、鍛錬のために相撲をとっていました。

江戸時代に入ると興行として民衆に定着し、大正時代に入ると大相撲と名を変え、いわゆるプロ興行として私たち国民に親しまれるようになります。

 

私たちが想像する相撲は大相撲というのが正しいようです。単に相撲というとアマチュアだったり力比べのことをいうみたいですね。

 

江戸で相撲が大流行したおかげで(私も)相撲の発祥は江戸だと思っていました。

ほら、お相撲さんっていうでしょ?

「お+〇〇」というのは、江戸時代に流行ったものだって聞いたことがあったし。

お菓子、おせんべい、お茶、お風呂なんかもそうですね。

 

でもどうやら、それ以前に(興行としてではなく)相撲はあったようです。

 

相撲界のことを角界というのはなぜ?

腕相撲

あなたは、角界(かくかい)という言葉を聞いたことがありますか?

相撲の世界や社会のことを表します。

歌舞伎の世界を梨園というのと似ています。

 

なぜ相撲の世界を角界というのか?

 

角という字の意味には、比べるという意味があります。

そして力を比べること=角力と表すようです。

力角と表さないのは面白いですよね。語呂が悪かったのかな?

 

角力という字に、力比べをする行為=すもうという読み方が当てられ、角力すもうと呼ぶようになりました。

その後すもうの音の響きに合わせて、漢字表記を「相撲」とすることに。

腕力の力比べを腕相撲と言いますが、ひょっとすると腕角力と表現していたかもしれないですね。

 

男性シルエット
力比べをする行為を「すもう」と呼ぶ文化は、すでにあったってことなんだね。
それこそが、相撲の発祥が奈良にあったことと関係していきます。

 

相撲の起源は日本書紀にまでさかのぼる

古い本

そんな力比べとしての意味である相撲の起源は、いくつか候補があります。

  • 相撲の記述があるのは、日本書紀だ。
  • 日本書紀より前に完成したと言われている古事記にも記載されている。
  • モンゴルやイスラエルにその起源がある。
  • 聖書にだって、力比べをしている様子が描かれている。

など、本当に様々です。

 

そこで、相撲=人と人とが力比べをしてどちらが強いかを示すこと、と「すもう」本来の意味に注目してみます。

すると日本書紀にある、天皇の目の前で力比べをする様子がいわゆる「すもう」を表しているいるのでは無いか? という結論になるようです。

誰かと力比べをするなんてことは日常茶飯事でしょうから、誰かに判断してもらうってことも大事なポイントになりますよね。

 

日本書紀ってなんだっけ?

たくさんの本

日本書紀とは昔の歴史書です。

今のところ、日本について正しい歴史を書いた(正史)書物で最も古いとされています。

男性シルエット
あれ? 古事記が最も古いって習ったような気がする…。

 

確かに、古事記の方が古いです。

日本書紀は720年に完成、古事記は712年に完成されたと言われています。

 

日本書紀も古事記も、共に天武てんむ天皇の命によって作られたとされていますが、違いは多くあります。

  • 編集方法
  • 編集に携わった人
  • 出てくる内容
  • 作成した目的

 

特に大きく違うのが、フィクション(作り話)なのかどうなのか

古事記はフィクション、日本書紀はノンフィクションと言えます。

古事記に登場する日本神話が(フィクションだと)わかりやすいですね。一方、日本書紀は年代別の史実に基づいてまとめられています。

 

日本書紀に天覧試合の記載がある

いわば、歴史の教科書として日本書紀がある訳ですが、その日本書紀には天覧試合(天皇の前で力比べ)の様子が記載されています。

これが日本初のすもう(力比べ)ってことになりますね。

 

當麻蹶速と野見宿禰の対決

蹴り技による戦い

日本書紀によれば、今から約2,000年ほど昔。

當麻蹶速たいまのけはや野見宿禰のみのすくねという人がいました。

 

當麻蹶速は現在の奈良県葛城市當麻に住んでおり

  • 當麻は地名から
  • 蹶速=蹴速という意味

で、名付けられたと言われています。

 

このことから當麻蹶速とは、蹴りの名手だったと推測されます。

 

そんな當麻蹶速は足技はもちろんのこと、非常に怪力で

男性シルエット
當麻蹶速
自分より強いやつはいないのか? 命をかけて力比べしてみたいものだ。

と豪語していたようです。

 

随分とオラオラな人やってんな。

 

その噂を聞いた当時の天皇(垂仁天皇すいにんてんのう)は、家臣に

男性シルエット
垂仁天皇
當麻蹶速と戦えそうなやつを誰か知らんか?

と尋ねたところ

男性シルエット
家臣
出雲の国(現在の島根県東部および鳥取県西部)に野見宿禰という人物がいます。彼ならどうだろうか…?

とのこと。

 

そこで野見宿禰を奈良の地に呼び寄せ、當麻蹶速と対決させることになりました。

これが天覧試合、日本で初の「すもう」と言われています。

 

今のような情報手段が無い時代で国のトップに噂が届くって、よっぽどすごい人たちだったんでしょうね。

 

まさに死闘、蹴り技の応酬

キックボクシング

この當麻蹶速と野見宿禰の対決は、今の相撲のような戦いだったというより「けり技」中心の格闘技に近かったようです。

なんせ當麻蹶速けはやという名前のやつとの対決ですからね、蹴りの名手ですからね。

そんな対決は試合ではなく死合、正に死闘を繰り広げるものだったようです。

 

當麻蹶速と野見宿禰は、実力者同士。

野見宿禰も(相当な)足技の使い手だったようで

野見宿禰は、當麻蹶速の胸の骨(肋骨あたり)を蹴り折り、さらに倒れ込む當麻蹶速の腰を踏み砕いて殺した。

という記載があるほどです。

 

なんということでしょうか。

あれだけ豪語していた當麻蹶速は、フルボッコにされてしまったご様子。

 

まず胸の骨を蹴り折って、さらに腰の骨を踏み砕く。

サンジのポワトリーヌからコンカッセ

野見宿禰はサンジか? ワンピースに出てくるサンジなのか?

 

蹴りだけで相手を死に至らしめる、これが相撲の起源

日本書紀に、死闘の描写は無いです。

力自慢だった當麻蹶速と野見宿禰は、現在の相撲のように取っ組み合いもしたでしょうし、殴り合いもしていると思います。

しかし決着は、足技一本

踏んだり蹴ったり。

 

倒れ込む當麻蹶速に対して腰骨を粉砕し、とどめを刺す。

正に死闘、これが相撲の起源なのか・・・。

 

そりゃ審判をする行司さんも、懐刀を持つ訳だ。
男性シルエット
なんで行司は刀を持っているの? 
判定を誤った時(差し違えた時)には、切腹していたみたいですから。

審判も命がけだったってことですね。

 

戦利品は、當麻蹶速の所有していた土地

腰折田
出典 http://small-life.com/

相撲に勝利した野見宿禰は、天皇から當麻蹶速が所有していた土地(田んぼ)をもらいます。

その地を「腰折田」と名付け、以来、野見宿禰はそこに住まい天皇に仕えたようです。

現在の香芝市にあります。にしてもネーミングセンスが無い・・・。(笑)

 

言うなればこの田んぼは、現在の大相撲で言う所の懸賞金と同じ意味合いでしょうね。

ごっつぁんです。

 

相撲の起源が奈良だった、情報のまとめ

蹴り技による戦い

相撲の起源についてまとめます。

  • 相撲は力比べ(角力=すもう)から来ている。
  • 日本書紀にすもうの記述がある。
  • 當麻蹶速と野見宿禰の対決(天覧相撲)が、相撲の起源
  • 今と違い、蹴り技で決着がついた。
  • 今の見慣れた相撲は江戸時代から広まり、大正時代に大相撲と名前が変わって定着した。

 

驚くことに、今の相撲でも蹴りは反則じゃないのだそう。

決まり手にもあるようです。(蹴たぐりなど)

 

やはり、2人の死闘の名残なんでしょうかね。

いつしかミドルキックや回し蹴りなど、足技中心に繰り出す力士が見てみたいものです。

プロレスや総合格闘技との違いがなくなっちゃうか(笑)。

 

ちなみに

  • 相撲の起源である角力(すもう)で負けた當麻蹶速の出身、現在の奈良県葛城市
  • 決闘の場所(諸説あるようですが)、現在の奈良県桜井市にある相撲神社
  • 野見宿禰が譲り受け「腰折田」と名付けられた土地、現在の奈良県香芝市

この3つの市は、相撲にゆかりのある場所として有名です。

 

さらに香芝市には、本場所で使われている土俵と同じサイズの土俵がある資料館「けはや座」があります。

特に外国人や小学生なんかに人気のようです。

興味があるかたは、是非一度どうでしょうか?